税務の片隅で。

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zoom RSS 罵愚さんへ。

<<   作成日時 : 2008/03/27 12:42   >>

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 この記事は大空襲に見る絶対善悪と言う記事でのコメントの為に作成しました。

 討論放棄というつもりではないのですが、たぶん前提条件があまりにも違うので、議論にならないのではないかと思っただけです。
 例えば、国際法の位置づけもかなり違うのではないかと思えるのです。
 大学院時代に1年間国際法の授業も取りました。 
 私は国際法と言う分野をあまり信じていません。なぜなら、各国の利害はかなり対立します。自国の権利は最大限に確保しておきたいと思うのは当然の成り行きでしょう。だから何と言うわけではありませんが、国際法は明らかに理念重視であり、実効性を求めた物は非常に少ないのではないかと思うからです。
 また、平和に対する思いと言うか、考え方の根底が違うのだと思います。
 歴史に見てたかだか60年の平和など取るに足らないとお考えなのでしょうが、その平和を構築する為にどの様な犠牲を払わなければならないのかが最も重要な事だと考えています。
 いざ、戦闘が始まれば全ての人が戦火にまみえます。その際、国際法は必ずどこかへ行ってしまいます。民間人と兵士を分ける線はなくなり、すべてが対象になるのです。古典的感傷かどうかは知りませんが、そこで失われるのは私の子供かもしれません。私は家族を守る為なら闘います。戦場に万が一行くことがあっても、家族の為なら止むを得ないでしょう、だが、国家の為には闘いません、国は国民を守る義務がある。その為に、平時においてもそうならない様に選挙には必ず行くし、納税だってする。その他、国民の義務と思える物に対しては積極的に協力するつもりだと言える。
 私にとって国は社会の一つの単位でしかないとも言える、私は自己中心的とあなたは言うかも知れないが、私にとって最も大切なのは家族であり、子や妻や父や母だ。
 為政者にとって犠牲者は数でしかない。だが、その一つ一つに人生があり、数や単位ではない。
 チベットの問題は中国にとっては内政問題であろうが、チベット人にとっては外交問題と言う事になるのであろう事は疑いようもない。その時の為政者の考え方で時代に翻弄されてしまう。
 戦いたいのであれば、チベット人は闘うべきであろう自尊心は大切な物だし、民族自決権は簡単に取れる権利ではない。だが、それはチベット人自らが犠牲を払い、どう生きていくかを決めるべきであろうと思う。対岸にいてはわからない事が沢山あるはずだとも思う。
 闘い全てを否定する気はない。
 だがそれは、法がどうのと言うよりも以前の問題であろうと思う。
 理屈は後からついてくる。その時の為政者や権力者に都合が良いように解釈する為に、アメリカは無差別攻撃を非難しながら、自分たちのした事を正当化しようとしている。この記事はその部分を歴史が証明する事になるであろうと言う意味で書いたものでした。
 サッカー等を引き合いに出してしまった事は軽率だったかも知れません。
 それでも、平和である事は大切な物であり、また、平和である事に対価は必要なのだと思います。
 法は守らなければならない物だし、守るべきものである事は言うまでもありません。それは法を掲げた全ての人が思ってこそ有用性がでてくるのでしょう。
 少し支離滅裂な部分もありますが、それでも良い戦争がないという持論は変わりません。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
 わたしはもと記事のコメント欄で議論を終わっています。今回の、あなたの文章も、あなたご自身が書いているように支離滅裂で、なにを言いたいのか読みとれません。
 もしも「良い戦争はない」というのがあなたの結論なら、あなたの文章は、その説明にはなっていません。
罵愚
2008/03/29 16:46

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